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#002 岩政 大樹

2019年11月16日(土)に開催された第一回アスアスラボにて『サッカーラボ』の先生を務めた岩政大樹さん。現役時代、史上初のリーグ三連覇やワールドカップ日本代表などアスリートとして華々しい経歴を持つ彼が、これまで見てきた世界を経て、これから子どもたちに伝えたいメッセージとは。



この2時間が、これからの練習で上手くなるためのきっかけに


森本稀哲さんの『野球ラボ』と同時開催だったこの日。『サッカーラボ』にも小学4年生から中学2年生までの約50名の子どもたちが集まった。たった2時間限りのサッカー教室に、岩政さんはさまざまなイメージをめぐらせ、この日を迎えたと言う。


「自分のレベルも子どもたちの様子も、いろんな想定をしていましたが、実際いい子たちが多くてそのおかげで教室もいいものになりましたね。想像以上に、この一日に多くのことを落とし込めたなとテーマ設定の手応えもありました。この日のサッカーラボのテーマを設定するという話を聞いた時、“そんなふうにやらせてもらえるんだ”と僕の中で非常に面白さを感じました。一日限り、たった2時間のサッカー教室で、子どもたちが上手くなることはありえない。だからこの2時間が、これからの練習で上手くなるためのきっかけになればと、“相手を見てサッカーをする”というテーマを考えました」



子どもたちがまだ得ていないであろう感覚や認識を提供する。練習の中でゲームと時間の回し方を瞬時に変更しながら、岩政さんだからこそできる指導を意識した。


「ボールの扱い方とか蹴り方というサッカーの指導はベースにはあるのですが、僕が子どもの頃、“チーム全体で同じような感覚を持ってサッカーをする”ことへのイメージの描き方はわからなかった。だからそのヒントを与えたかったんです。チームとして試合がうまくいかなかった時、まずは個人で解決しながら、チーム全体としてどうするか。それを選手たちが具体的に話し合って行けるベースとなるようなものを提示できればと思いました」


全体に影響力を及ぼしながらチームを変えていくことが面白かった


指導者としての面白さや手応えも実感している岩政さん。彼にとってサッカーの楽しさとは。そして子どもの頃からサッカーを続けることができた理由があるとしたら何だろう。



「僕の場合、多くのサッカー少年とは少し違っていたのかもしれません。言われたことを率直にやるというよりも、問題を自分で見つけて、それを実際に言葉にして選手をうまくあおり、時に励ましながら、最終的にチームが試合に勝つために考える。それが一番楽しかったんです。勝つための問題点に対して、自分自身を変える場合もあるけれど、チーム全体を変えなきゃいけない場合もある。全体に影響力を及ぼしながらチームを変えていくことが面白かったんですよね。僕は山口県の島の出身。地元にサッカーチームは一つできるかできないかだったし、情報も今ほど多く普及していないという環境だったけれど、負けず嫌いで試合に勝ちたいという気持ちは強かった。でも普通に練習していても勝てるチームじゃなかったし、自分自身それほどサッカーが上手くなかった。だから“考えよう”というところに行き着いたんです。例えば、30分の中でどうやって波を作るか、そのためにチームメイトへどう声がけしようかと考えたり。今振り返ってみると、そういうことを当たり前にやっていたんです。兄によく『小学生の時に、自分が下手くそだと認められたところからお前のサッカーはスタートしたんだ』と言われるんですけど、実際そうだったから、サッカーを楽しめたんですよね」


その一歩は本当に確実な一歩なのか


ボールを奪う、アシストをするといったわかりやすい成果を求めるのではなく、チーム全体を見渡し、他のチームメイトがしないことを考え、実行する。そういった意識を低年齢期に持てたことを強みに、常に問題を自分で提起し解決してきた岩政さん。目標についてはどう捉え、設定してきたのだろうか。



「目の前の試合にどう勝つか。遠くの目標や夢は一切ありませんでしたし、大学に上がるまではJリーガーになりたいとも思っていませんでした。試合にどう勝つかという目標設定に対する具体性は持っていたとは思います。僕はコツコツタイプだったので、その一歩は本当に確実な一歩なのかということが自分の中のポイントで。漠然と、勝ちたい、頑張りたいというのがずっと腑に落ちなかったんです。どうしたら勝つことに繋がるんだということに対する探究心がずっと強かったので、それがブレていなければ、少なくとも一歩は上に上がっているだろうと思うんです。よく言うのですが、目の前の坂道を、少しでも高いほうへと一歩一歩歩いて、パッと振り返って周りを見てみたら高いところにいた、という感覚ですね」


子どもの頃、自分はサッカーが下手だと認識したと言う岩政さん。技術でもメンタルでも、さまざまな自分の課題とどのように向き合ってきたのだろうか。


「自分の限界値を客観視してきましたね。その上で自分は今どの段階にいるのかを認識するということ。課題に向かっているのか、それとも今はまず、自分が持っているものを100出すことに向かっているのか。そういった段階を追うということを意識していました。僕は周りが気になるタイプだったので、自分の課題や指摘されたことばかり意識してしまっていたんです。本来出せたはずの100の力を発揮できなかった時、発揮できないことばかりに目が行くから、100を120にする作業をするのではなく、100出すことに集中するようにしたんです。120にする作業はそのあと。僕はプロのレベルの中では足が遅く、アジリティが弱いという課題に対しても、同じ考え方で変えていきました。足が遅いことを当初は矯正する時間はなかったので、守備面でポジショニングを極めて行こうと考えたんです。“ヨーイドン”の場面を作らせなければいい。ではその作らせないというのはどういうことか。毎日の練習の中で起こった状況に対し、その一歩二歩手前の他の選手たちの動かし方、自分の立ち位置の取り方.......など一つひとつあらい出す作業から入りました。そうやって自分の守備のセオリーが定まってきた時に、試合に出られるようになっていったんです」



成長に関する課題はどのように捉えているのだろう。岩政さんにとって成長とは何か。そして成長し続けるために必要なこととは。


「なんでもいいので今以上を目指す、ということが成長だと思います。若い時は体が成長するからサッカーが上手くなることもそれに付随しますよね。僕は高校一年生で身長が182cmまで伸びて、その後もう少し伸びるんですけど、身長はもうそこまで伸びなくなるんだなと感じた時に、まさに“成長ってなんだろう”と思ったんです。それで自分が成長し続けられるように、具体性を持たせようと思って、毎月一個ずつ具体的な目標を作るようにしたんです。例えばヘディングを、タイミングや落下地点の読みなど、細分化して一つずつ目標を立てて、一ヶ月毎日練習する。そしたら多少は上手くなる。そうすると一年が終わった時、僕は上手くなったと言えることが少なくとも12個あるからそれは成長と言えるだろう、とやってきました。でも大人になったら、体は大きくならないけど、頭とか言葉とか、内面的な部分の成長が大きくなりますよね。僕自身、大学で東京に出てくるまでの自分と今とでは価値観も相当変わったと思います。知識や人脈、探究心の幅も広がりました。サッカー選手としての成長はもう追い求めていないですが、サッカー選手時代のあの頃が全盛期だったと周りは言うかもしれない。でも自分自身は常に先に自分のピークがある感覚でいるんです。人生の中では選手時代も今も同じように成長への作業を繰り返している感じですね」


サッカーは自分というものを考えるためのフィルター


鹿島アントラーズ時代はリーグ三連覇を経験し、自身も三年連続Jリーグベストイレブンに選ばれ、日本代表選手としてワールドカップ、アジアカップにも出場した。トップアスリートとして活躍してきた岩政さんが、プロサッカー選手になって得た一番のものとは。



「たくさんの人の喜びや悲しみといった想いを背負ってプレーするという経験ができ、さらに何かを成し遂げるという経験ができ、そしてその成し遂げた喜びを彼らと分かち合うという経験ができたこと。何ものにも変えられないし、これからの人生では味わうことはないだろうと思いますね」


常に具体性をもって探究することを軸に、考えるということを常に意識する岩政さんにとってサッカーは自分というものを考えるためのフィルターになっているのだと言う。そんな彼は子どもたちに“一生懸命を増やしてほしい”という言葉を贈った。


「夢が見つかっている子もそうでない子もいると思いますが、子どもの頃に“これはやらなくていいや”って諦めて一生懸命になることを削っていくと、自分にとって損になると思うんです。逆に諦めずに一生懸命やったものは最終的に形を変えて将来に残る。勉強でも家事でも恋愛でも、とりあえず一生懸命やっておけば自分に戻ってくるものがある。その時必要かどうか考えるかもしれないけれど、そんなのはわからない。成果はその先の自分が決めてくれるから気にしなくていい。だから切り捨てずにいろんなことに取り組んで、一生懸命を増やしておくことは大事だと思っています」



岩政 大樹 DAIKI IWAMASA


1982年1月30日、山口県大島郡周防大島町生まれ。山口県⽴岩国⾼校卒業後、2000年に東京学芸大学教育学部・数学科に⼊学、蹴球部に所属。1年生で関東大学リーグ1部・新人王に輝き、3年時にはU-22日本代表に選出される。04年、大学卒業後に⿅島アントラーズに⼊団、同シーズン後半からレギュラーに定着。リーグ優勝3回、ヤマザキナビスコカップ優勝2回、天皇杯優勝2回に貢献し、自身もJリーグベストイレブンに3度輝く。14年、10年在籍した⿅島を退団し、タイ・プレミアリーグのBECテロ・サーサナへ完全移籍し、リーグカップ優勝に貢献。15年、ファジアーノ岡山に移籍し、移籍初年度よりキャプテンを務める。17年、関東1部リーグの東京ユナイテッドに選手兼コーチとして加⼊。また、東京大学ア式蹴球部コーチに就任。18年、現役引退。08年にサッカー日本代表候補に初招集され、09年10月に代表デビュー。10年のFIFAワールドカップ・南アフリカ大会メンバー、11年のアジアカップ優勝メンバー。国際Aマッチ8試合出場。

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